魯迅の師 藤野先生の故郷・福井を訪ねて
2020年06月23日
中国では国民的英雄であり日本でも有名な作家 魯迅。
その魯迅が終生恩師と慕ったのが日本留学で知り合った、現在の福井県あわら市出身の解剖学教授、藤野厳九郎でした。
1904年、周樹人(23歳、後の魯迅)は、官費留学生として日本の仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学しました。新しい医学を学んで中国を新しい国にしようと思ったのです。
同郷の友人もいない日本での生活に、藤野は留学生である周をとても気にかけてくれていました。
周も真面目に勉強していましたが、ある日人々の心が疲れ切った中国の現状を知り、多くの中国人を救うために文学の道に進むことを決意しました。退学を告げられた藤野は残念に思いながらも彼を自宅に招き、帰国しても近況を知らせてほしいと言って自分の写真を渡しました。
中国に帰った周は、雑誌「新青年」に発表した小説『狂人日記』を皮切りに魯迅というペンネームで執筆を開始し、旺盛な執筆活動を続けました。ただこの間、藤野に写真も一通の手紙も送ることはありませんでした。
1934年、魯迅は日本での作品集出版の申し出を承諾し、その際、自伝的小説『藤野先生』を必ず収録するようにとの条件を付けました。日本で小説が出版されれば、藤野と連絡が取れるかもしれないと思ったのです。長い年月が過ぎても藤野への思いが魯迅の心を離れることはありませんでした。しかしその後、病に倒れた魯迅はもう一度藤野に会いたいという願いを果たせぬまま、1936年に55歳の若さで生涯を閉じました。
生涯恩師との再会を望んでいた魯迅。彼の思いは師に通じたのでしょうか。魯迅の遺志を汲んで、リポーターの銭菁(杭州文化広播電視集団)が藤野先生の故郷、福井を訪ねます。
企画・著作 福井県
[制作] 福井テレビ、杭州文化広播電視集団