国宝・阿修羅像に会いに行く―興福寺―
2019年06月13日
奈良二日目は、世界遺産・興福寺を訪れました。これまで興福寺の境内を通り抜けたことはあったものの、時間をかけて参拝、見学するのは今回が初めてでした。
昨年秋、300年振りに再建落慶した中金堂(ちゅうこんどう)を見たいのはもちろんでしたが、やはり興福寺と言えば、国宝の阿修羅像を見ないわけにはいきません。
興福寺の阿修羅像は、憂いを含んだ写実的な表情であまりにも有名です。2009年に東京と福岡で開催された「国宝 阿修羅展」では合わせて195万人が訪れ、日本中に阿修羅ブームが巻き起こったことも記憶に新しいです。この動員数は、フェルメールや古代エジプト、ダヴィンチ展も遠く及ばない数字で、聞くところによると阿修羅像のファンクラブまであるそうです。
阿修羅像が展示されている国宝館は最近リニューアルされたようで、中に入るとモダンな雰囲気でした。館内のピクトグラムにも仏像のデザインがさり気なく使われていたり、シンプルで洗練されています。
阿修羅像は別室ではなく他の仏像と並んで展示されていました。正面まで来て、その端正な顔に向き合うと、奈良時代に造られたというのが信じられないくらい古さを感じさせません。そして、あの特徴的な眉をひそめた表情が訴えているもの、やはりそれは苦しさ、悔しさ、哀しさなのでしょうか。その阿修羅が帝釈天と戦う場所が「修羅場」と呼ばれました。
阿修羅像は中が空洞の乾漆造で15kgしかなく、度重なる火災に見舞われた興福寺にあってもすぐに外に運び出すことができたため、今もこうして無事に残っているというわけです。それにしても、全部で136件ある日本の国宝仏像のうち13パーセントにあたる18件が興福寺にあるというのですからすごいですよね。
興福寺は、最盛期には1万人の僧侶がいたと言われる日本有数の巨大寺院でした。そして創建以来1300年で7度も焼失して、昨年10月に8度目の再建を果たした中金堂。その落慶法要で多川貫首は本尊に向かい、奉告文の中でこう読み上げていました。
平成の金堂
天地(あめつち)と共に長く
日月(ひつき)と共に遠く
相続伝持し
未来際(みらいざい)を尽くさん
静かな歌のように聞こえながらも、未来への誓いと熱い思いが伝わってきました。(H.S)
国宝館前の立て看板
再建された中金堂
平城宮跡の大極殿とほぼ同じ大きさです
中金堂を下から見上げる
中金堂前の広場から見る五重塔と東金堂(いずれも国宝)
興福寺の御朱印
5種類の中から選べますimg src="/sites/default/files/styles/med
奈良公園の鹿たち休憩中
ちなみに奈良公園は元々興福寺の境内でした
往時の広大さが偲ばれますね
動画は共同通信社 YouTube公式チャンネルより
興福寺中金堂 落慶法要 (2'02")