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スタッフブログ

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有元美津世著『ロジカルイングリッシュ』

2020年04月05日

 

有元さんの本には、これまでもとてもお世話になってきました。特に『英文ビジネスeメール実例集』は、今ほどウェブ翻訳サービスが充実していなかった時代、本当に重宝しました。

 

有元さんは、大学卒業後、日米の企業勤務を経て渡米。日本企業のアメリカでの立ち上げに携わり、MBA取得後、独立。16年間、日米企業間の戦略提携コンサルタントとして活躍。現在は投資家として世界経済の動向を追い続けています。最近はコロナウイルス関連の海外メディア報道を和訳してSNSでこまめに発信中。在米35年。

 

さて今回紹介するのは『ロジカルイングリッシュ』(2015年出版)という本です。この本が提案しているのは、英語を論理的に伝える技術を身に付けようということです。

 

(以下は本文より)
日本人の書く英語でよく見かけるのが、文法的には正しいのに英語圏の人には伝わらない英文です。その主な要因は―
1. 日本語の単語を英語に置き換えているだけの直訳である
2. 非常に簡単なことを、やたら複雑な文で言おうとしている
3. and や butなどの接続詞で文はつながっているのだが、論理が飛躍していて、文と文のつながりが分からない

 

他にも日本人によくある誤解に、Pleaseを付ければ丁寧表現だと思うかもしれませんが、Pleaseは命令の場合が多く、上司に対しては使えません。メールでもPlease reply promptly. と書くと「すぐに返事ください」という命令になってしまいます。

 

また、expect と hope も同じ意味のように考えているかもしれませんが、expect は「当然起こるものと思う」ことで、使い方によっては「当然のこととして要求する」という意味になります。だから、I expect to hear from you. などと書いてしまうと「ちゃんと返事をください」という相手への要求になり、Please respond. よりもさらに高圧的なのです。

 

そして、日本語のビジネスメールでは頻繁に使われる「それはちょっと難しいです」という表現をそのまま It’s a little difficult. と書くとトラブルになりかねません。この表現では、交渉の余地があるという期待を持たせてしまうからです。ですからdifficult は使わず、We are unable to discount the price. (値引きはできません) というようにはっきりと伝えることがとても重要です。―

 

つまるところ、誤解を生まない表現がビジネスメールではまず基本だと言えますね。メールに限らず、翻訳で最も気を付けたいことです。(H.S)

カレン・キングストン著『ガラクタ捨てれば自分が見える』

2020年01月12日

 

著者のカレン・キングストンはイギリス生まれ。1990年からは10年間、バリ島で生活していました。長年、風水とスペース・クリアリングを研究して、建物エネルギー浄化の先駆者となりました。この本は日本での初版が2002年だったので、まだ「断捨離」という言葉も知られておらず、こんまりさんも世に出る前の風水整理術入門書と言えます。田村明子さんによる翻訳も読みやすく、ウィットに富んでいて面白いです。日本語版のタイトルも秀逸ですね。

 

風水と言えば、今や大統領となったトランプ氏が、ニューヨークにトランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー(1997年完成)を建築した際には、中国・広東省から風水師を招いてアドバイスを求めたことが当時大きなニュースになりました。

 

ところで、「ガラクタ」(clutter)とは、オックスフォード英語辞典によると、整理されていないまま山積みとなったもの。そして、そうした要らないものが人に与える影響には以下のようなことがあるそうです。
*疲労感を覚え、無気力になる
*過去の呪縛を溜め込んでしまう
*体の働きを滞らせる
*何事も延期しがちになる
*不調和が起きる
*自分を恥じるようになる
*人生の展開が遅くなる
*気分が鬱になる
*感性が鈍る
*大切なことに頭がいかなくなる

 

本書にはこうもありました。
―これまで人々が試してきたガラクタ処理法は以下です。
*自然のままに任せる方法(別名・決断放棄型)。自然に腐っていくような場所に保存して、
 嫌でも捨てざるを得なくする方法。
*死ぬまで待って親戚に片付けてもらう方法。何世紀もの間、人々が最も活用してきたのは
 この方法です。
*責任を持って自分で片付ける方法。私がおすすめするのはこの方法です!
一番難しいのは、あなたが腰をあげることです。いったん始めさえすれば、どんどんエネルギーが湧いてきますから、自然に続けていくことができるようになります。―

 

確かに、片付けを始めるまでは億劫でも、いったんやり始めるとスイッチが入りますよね。私も今年はまず腰をあげて、引き出し一つずつからでも片付けを習慣にしたいと思います。(H.S)

 


英語版の表紙

 


著者のカレン・キングストン( 本人のウェブサイトより)

須賀敦子著『トリエステの坂道』

2019年12月22日

須賀敦子さん(1929-1998)は、エッセイストでイタリア文学者でした。若き頃に通算10年以上イタリアで過ごし、イタリア語を学び、イタリア文学の翻訳に取り組みました。1961年には、ミラノでイタリア人のジュゼッペと結婚しましたが、数年後ジュゼッペが急逝、日本に帰国します。その後は大学で教鞭を執っていました。

 

トリエステはイタリア北東部、スロベニアとの国境にある人口20万人ほどの港町。『トリエステの坂道』は、須賀さんが、イタリアの詩人ウンベルト・サバの足跡を辿るためにサバの出身地であるトリエステを一人訪れた時のエッセイです。

 

以下は本文からです。
「たとえどんな遠い道のりでも、乗り物にはたよらないで、歩こう。それがその日、自分に課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい」
「なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年まえの六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか」

 


ウンベルト・サバが営んでいた書店の現在
画像は、「食の工房オフィスアルベロ」さんのブログよりお借りしました

 

トリエステは中世以来、オーストリア領となっていましたが、第一次世界大戦後の1919年にイタリア領になりました。文化的にも特異な都市で、ウィーンの文化や人々に対しては尊敬と憎しみがないまぜになった感情を抱き、言語的=人種的には絶えずイタリアに憧れるという二重性がトリエステ人のアイデンティティーを複雑にしていました。町の家々もイタリア風というよりオーストリア的だと須賀さんも書いています。

 

観光大国イタリアにあって無名とも言える、歴史に翻弄された辺境の町トリエステ。須賀さんが、「坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた」と書いていた名もない坂道を、ふと私も歩いてみたくなったのでした。須賀さんの静かさをたたえた、ぶれない確かな文体が、見知らぬトリエステへの郷愁をそそるのです。(H.S)

 

 

【動画】ETV特集 須賀敦子 霧のイタリア追想~自由と孤独を生きた作家~ 2009.10.18 須賀さんの貴重な肉声は 56’16”から

マーク・ピーターセン著『日本人の英語』

2019年11月14日

この本は、英語学習者にとっては必読書ともいえる一冊だと思います。このウェブサイトGEN は英語でも発信しているので、私もまだまだ英語学習者です。初版が1988年の本ですが、一度は理解したつもりでもそのうち忘れてしまうので、時々読み返してしっかりと意識に刷り込みたい内容です。著者のマーク・ピーターセン氏は、1980年に留学生として来日して以来、日本文学を研究。現在は大学教授として英米文学・比較文学を教えています。

 

 

最初に読んだ時の冠詞についてのくだりは衝撃的でした。なぜなら初めてその概念をリアルに実感できたからです。本文から一部抜粋したいと思います。

 

【 a は名詞につくアクセサリーではない】
―冠詞のない言語である日本語と、冠詞が論理的プロセスの根幹である英語の違い―
"Once upon a time, there were an old man and an old woman. The old man…"
―(むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは…)
日本語では最初に「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさん[は]いました」とは言えないのと同じように、英語で "Once upon a time, there were [the] old man and [the] old woman…" とは言えない。が、日本語の場合、一度そのおじいさんが「あるところにいたおじいさん」として紹介されたなら、その次のセンテンスから「おじいさん[は]」という表現は少しもおかしくない。それと同じように、英語の場合も一度そのold manが an old man who was として紹介されたら、語り手と聞き手の間の相互理解では、彼がthe old man となる。―

 

―英語で話す時も書く時も、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞ではなく、a の有無である。適切な名詞が選ばれるのはその次だ。もし「つける」という表現をするなら、「a に名詞をつける」としか言いようがない。「名詞に a をつける」という考え方は、実際には英語の世界には存在しないからである。― 

 

そう言えば、英語のネイティブ・スピーカーが、まず a や the を言ってから、ちょっと遅れて次にくる名詞を言う場面をよく見ます。たとえば、I ate a…a…a rice ball. といった具合で、a を繰り返しながら次に言う名詞を思い出しているのですね。

 

ピーターセン氏も書いていますが、日本の英語教育では、こういった冠詞の本質を教えていない気がします(今は分かりませんが)。会話や発音に力を入れるのもけっこうですが、こういった基本的な感覚を身に付けることがまず必要だと切に感じます。(H.S)

角幡唯介著『極夜行』(きょくやこう)

2019年11月10日

ノンフィクション作家で探検家の角幡唯介(かくはたゆうすけ)さん著『極夜行』を読みました。

 


 

北極圏には、「白夜」の反対に何日も日が昇らない「極夜」という期間があり、その暗闇の中、一頭の犬(名前はウヤミリック)と八十日間旅した記録を克明に綴ったのがこの本です。それはスポンサーも付けず、GPSも持たない旅でした。

 

角幡さんは以前、あるテレビ番組でこう言っていました。
「冒険や探検は、宗教でいう巡礼に近い気がするんです」
「自分は、探検によって大昔の狩猟民の追体験をしたいのかもしれません」
そんな角幡さんのまっすぐで無駄のない眼差しの中には、自然に対する畏怖なのでしょうか、ほんのかすかに怯えがあるようにも見えました。

 

日々、当然のように太陽の恩恵を受けている私にとって、何か月にも及ぶ孤独で真っ暗な世界は理解をはるかに超えていましたが、角幡さんの明快な語彙、感性溢れる情景描写や、心象風景がリアルに伝わってくる圧倒的筆致のおかげで、私まで探検に同行させてもらったような達成感を得ることができました。探検の様子も決してストイックなだけでなく、笑ってしまうエピソードも多いし、自分の情けない部分も包み隠さず書いているのがまた潔いです。読んでいた何日間は、本を開いてエア探検することが私の生活のメインで、他の日常が何だかおまけに思えてしまうという不思議な感覚に陥っていました。

 

以下は本文からです。
「餌を減らしたうえ、一気に進んだことで犬は急速に痩せ衰え始めていた。寒さに強い犬種とはいえ、氷点下三十度以下での重労働である。あばら骨が浮き出て腰まわりが貧相になり、脚から尻にかけての筋肉がごっそりなくなっていた。身体中をなでて確認するたびに、可哀相で思わず涙が出そうになる」

 

犬に関しての描写は、やや醒めた感じがずっとしていたのですが、ようやくこの文章に出くわし、待ってました、やはり角幡さんにも血の通った優しい一面があったのね、と心底ほっとした私でした。そう言えば角幡さん、少し前にツイッターで「初めて胃カメラ飲んだ。苦しいですな、あれは」と言っていて、意外と普通の人だなと思いました(笑)。

 

さて次は、角幡さんがチベットにある世界最大のツアンポー峡谷に挑んだ時の記録『空白の五マイル』を読む予定。彼の書く文章はとにかく面白く、中毒性があるのか次から次へと読みたくなってしまいます。(H.S)

 


次の北極圏行きに向けて犬たちの訓練
ウヤミリックもいます(一番右) 
(画像は角幡さんのツイッター @kakuhatayusuke より)

 


そりを製作中の角幡さん
(画像は同上) 

 

【動画】 探検家 角幡唯介さんに聞くー「極夜」への挑戦(本人撮影の映像も)(11'44")

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