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須賀敦子著『トリエステの坂道』

2019年12月22日

須賀敦子さん(1929-1998)は、エッセイストでイタリア文学者でした。若き頃に通算10年以上イタリアで過ごし、イタリア語を学び、イタリア文学の翻訳に取り組みました。1961年には、ミラノでイタリア人のジュゼッペと結婚しましたが、数年後ジュゼッペが急逝、日本に帰国します。その後は大学で教鞭を執っていました。

 

トリエステはイタリア北東部、スロベニアとの国境にある人口20万人ほどの港町。『トリエステの坂道』は、須賀さんが、イタリアの詩人ウンベルト・サバの足跡を辿るためにサバの出身地であるトリエステを一人訪れた時のエッセイです。

 

以下は本文からです。
「たとえどんな遠い道のりでも、乗り物にはたよらないで、歩こう。それがその日、自分に課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい」
「なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年まえの六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか」

 


ウンベルト・サバが営んでいた書店の現在
画像は、「食の工房オフィスアルベロ」さんのブログよりお借りしました

 

トリエステは中世以来、オーストリア領となっていましたが、第一次世界大戦後の1919年にイタリア領になりました。文化的にも特異な都市で、ウィーンの文化や人々に対しては尊敬と憎しみがないまぜになった感情を抱き、言語的=人種的には絶えずイタリアに憧れるという二重性がトリエステ人のアイデンティティーを複雑にしていました。町の家々もイタリア風というよりオーストリア的だと須賀さんも書いています。

 

観光大国イタリアにあって無名とも言える、歴史に翻弄された辺境の町トリエステ。須賀さんが、「坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた」と書いていた名もない坂道を、ふと私も歩いてみたくなったのでした。須賀さんの静かさをたたえた、ぶれない確かな文体が、見知らぬトリエステへの郷愁をそそるのです。(H.S)

 

 

【動画】ETV特集 須賀敦子 霧のイタリア追想~自由と孤独を生きた作家~ 2009.10.18 須賀さんの貴重な肉声は 56’16”から