対馬丸記念館と小桜の塔
2017年03月30日
少し前になりますが、NHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」秋の旅編が沖縄で終わるという
ことで見ていました。
沖縄本島の旅、最後の視聴者からのお便りは「対馬丸記念館」とその裏手の方にある慰霊碑「小桜の塔」を訪れて欲しいというものでした。
お便りを出した女性のお父様は対馬丸の船長だったのです。でもその女性ももう高齢であり、慰霊碑を訪れることが叶わないので、「こころ旅」の火野さんに代わりに行って欲しいと言うのです。
実は私も以前この「対馬丸記念館」を訪れたことがあります。
それは奇しくもちょうど天皇皇后両陛下が来館した翌日というタイミングでした。
見学しながら涙があふれ、悲しみはもちろんですが、憤りとやり切れなさが否応なく湧き上がってきたのを覚えています。
では、対馬丸とはどんな船で、何が起こったのか、ご存知ない方のために簡単に記しておきます。
(詳しくは 対馬丸記念館のHP をごらんください)
昭和19年夏、太平洋戦争の敗色が色濃くなってきた日本。政府は沖縄での地上戦に備えて足手まといとなるお年寄りや子ども、女性を島外へ疎開させる命令を出します。
しかし海はすでに最も危険な戦場と化していました。
8月21日 対馬丸は長崎に向けて那覇を出港 三船団で学童2300人、一般疎開者1400人が乗船
8月22日 米潜水艦の魚雷攻撃により対馬丸撃沈 乗船者の8割が死亡
しかし、悲劇はこれで終わりではありませんでした。
あろうことか日本政府は、この沈没について語ってはいけないと、かろうじて助かった生存者たちに
厳重な箝口令を敷いたのです。生き残った人たちを待ち受けていたのは脅しや差別でした。
そして何十年も口を閉ざしてしまった人も多いのです。
米軍側は果たして女性や子どもたちが乗っている船だと知らなかったのか?日本政府は本当に他に手立てがなかったのか?など疑念は尽きませんが、子どもたちは両親と離ればなれになるという寂しい思いをこらえながら危険も知らず船に乗ったことは間違いありません。そして挙句の果てに台風が近づいていた海に放り出されてしまったのです。
もし沖縄に行かれることがあれば、是非訪れていただきたい場所です。国際通りからもほど近く行き
やすいかと思います。そして何が起こったのかを皆さん自身の目で見て、感じてください。(H.S)
対馬丸記念館入口付近
記念館近くの沖縄らしいガジュマルの街路樹とサンタンカの花
以下は館内の展示より