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スタッフブログ

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来日150周年 福井を愛した男 W.E.グリフィス

2020年06月07日

出来事

―前回のブログ 「福井で最初の海外留学生・日下部太郎」 から続きます。

 

グリフィスの元へ届いた手紙は福井藩からの招待でした。明治3年(1870年)グリフィスは日本へと旅立ちます。藩校 明道館は明新館と名前を変えていて、グリフィスはそこで指導をすることになりました。教える教科は、化学・物理・ドイツ語・フランス語など幅広いものでした。藩は当時まだ珍しかった化学実験所を建て、新しい教科書も作りました。福井藩が教育に力を入れていたことが分かりますね。グリフィスの授業はすべて英語で行われ、日本人の通訳を付けていたそうです。

 

グリフィスは福井で太郎の父と会ったり、由利公正や橋下左内の弟 橋本綱常(初代 日赤病院長)ら多くの知識人と交流しました。福井滞在は11か月でしたが、グリフィスの残したものは大きく、福井での教え子たちは明治の各界で活躍しました。

 

その後、明治7年(1874年)に東京へ行ってから、激務がたたり、体調を崩したグリフィスは日本を離れます。アメリカへ戻って牧師をしていたグリフィスですが、福井のことを忘れることはありませんでした。そして日本に関する本を次々と執筆、ベストセラーになり、世界に日本や日本人のことを知らしめることとなりました。

 

グリフィスは、日本を離れて55年が経った昭和元年(1926年)、日本政府の招きで再来日します。既に83歳になっていましたが、福井も訪れて、何と1500人もの人々が出迎えました。福井の町は変わったけれど、人々のやさしさは変わっていないとグリフィスは感じたと言います。翌年にかけての日本滞在中、250回もの講演をして各地を回り、日米友好と平和を強く訴えました。その後、残念ながら日米は戦争の道へと突き進んでいくことになるのですが、日米が戦争に入ったことを知ることなく、グリフィスはアメリカへ戻った翌年の昭和3年(1928年)、84歳で亡くなりました。今年はグリフィスが初来日してから150周年に当たります。当時、グリフィスが日本中を回って講演で語った熱い思いは今も通じる内容だと改めて感じます。日本研究の第一人者グリフィスの原点、それは福井の人々との温かい心のふれあいだったのです。(H.S)

 


W.E.グリフィス

 


福井市にあるグリフィス記念館
グリフィスが住んでいた家を復元しています

 


記念館前にある日時計
グリフィスの死後、サラ夫人によって福井市に贈られた日時計が太平洋戦争後、逸失したため、残された資料を基に複製したもの

福井で最初の海外留学生・日下部太郎

2020年05月31日

出来事

地元福井のFBCテレビ開局60周年記念番組「福井を愛した男グリフィス」を見ました。再現ドラマになっており、講談師 一龍斎春水さんの語りも素晴らしく、中身の濃い、とても見応えのある番組でした。番組に登場するグリフィスと日下部太郎については、名前こそ知っていたものの、二人がどんな人生を歩んだのかよく知らなかったので、この番組で初めて詳しく知って感動しました。

 

日下部太郎は弘化2年(1845年)、福井市江戸町(今の宝永4丁目)で生まれました。安政2年(1856年)、福井藩に新しい学校「明道館」が開校。日下部太郎は頭脳明晰の誉れ高く、通常15歳で入学するところ13歳で入学します。そして慶応3年(1867年)、太郎が福井藩初の海外留学生として渡ったのがアメリカ・ニューブランズウィック市にあるラトガース大学でした。そのラトガース大学で先輩にあたるグリフィスにラテン語の個人授業を受けたのが二人の出会いです。太郎はグリフィスに、福井がどれほど良いところかを自慢していました。

 

一方、当時のアメリカの物価は高く、日本からの少ない仕送りで生活する太郎は食費を切り詰め、寝る間も惜しんで寒い部屋で勉強し続ける日々。太郎はついに肺結核にかかってしまいます。そして明治3年(1870年)4月、太郎は卒業を目前にしてニューブランズウィックの地でわずか24歳という短い生涯を終えたのです。

 

太郎の葬儀のため大学は休みとなり、葬儀の営まれた教会には教授はじめ学生、友人たち、そして悲しみに打ちひしがれるグリフィスの姿もありました。遠い異国の地で十分な栄養もとれず、病に倒れた太郎の心細さ、無念さはいかばかりだったでしょう。哀れでなりません。

 

つまり、福井では幕末から明治の初めにかけて、橋本左内(1859年、25歳で刑死)と日下部太郎という、稀に見る優秀な若者を二人も失っていたのです。彼らがもし生きていたらと思わずにはいられません。

 

さて、太郎の死から数か月たったある日、グリフィスの元に福井藩から一通の手紙が届きました。続きは来週のブログでご紹介したいと思います。(H.S)

 


日下部太郎(福井市立郷土歴史博物館HPより)

 


福井市内を流れる足羽川の堤防に立つグリフィスと太郎の銅像

平成30年2月豪雪の思い出

2019年01月29日

出来事

 

今年の福井は雪が少なく住人にとってはありがたい冬になっていますが、
もうすぐ2月、となると1年前の大雪を思い出します。

 

上の写真は昨年2月6日13:18、帰宅途中に渋滞で全く進まない車中から撮ったもの。
12:00に職場で帰宅指示が出て帰る途中です。

 

このあと、ふだん20分のところを4時間かかりましたが無事帰宅できました。
でも同じころ、この道路とこの先で交わる国道8号線は大変な事になっていました。

 

1,000台以上の車が動けなくなり、自衛隊に救援要請されたのが14:00。
事態が収拾するまでそれからなんと丸二日です。

 

国道8号線はふだんよく使う道路です。
この日の帰りに8号線を使わなかったのは単なる偶然でした。
T.S

台風シーズン到来

2018年07月06日

出来事

先日、今年に入って7個目の台風(台風第7号プラピルーン)が発生しました。

 

毎年平均で約26個の台風が発生し、約4個が上陸しています

(過去7年間、2011年~2017年の記録より)。

 

1年の中で7月~10月が最も台風が多い時期です。台風による被害は大きく分けて3つあります。

風の害(暴風、塩害、フェーンによる大火、竜巻など)、雨の害(がけ崩れ、山崩れ、浸水、洪水など)、波の害(高波、高潮など)に注意と警戒が必要です。

 

過去7年間に発生した台風数と上陸数

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

発生数

27

26

27

23

31

25

21

上陸数

4

6

4

4

2

2

3

*台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合を

「日本に上陸した台風」としています。

 

 

過去7年間(2011年~2017年)に発生した台風の月別平均発生回数

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

平均数

1

0

0

1

1

2

4

4

5

4

2

1

 

参照:国土交通省気象庁(Japan Meteorological Agency)

 

 

去年(2017年)福井にも大きな台風がいくつか来ました。そのひとつ、台風21号の影響で10月21日から23日まで福井市は、雨風が強く傘をさしても壊れてしまったり、車に乗っていても揺れたりと大荒れの状況が続きました。

 

台風の時にはもちろん、外出はしてはいけませんが、10月22日(日)は選挙の日ということもありタイミングを見計らって外に出ると。。。

 

外は想像以上の強風が吹いていて街中の木が、ものすごい音を立てて揺れ、雨風で剥がれた家屋などの部分が宙を舞っていました。強い雨も降っていて、前がよく見えませんでした。身の危険を感じて、なるべく建物の中を通りながら少しずつ前に進んでいきました。

 

福井市の中心部を流れる足羽(あすわ)川はあっという間に増水し、いつもジョギングやサイクリングで楽しむ人で賑わう川沿いの道は浸水していきました。幸運なことに、川の水は橋を超えることはなく、街が浸水することはありませんでした。

 

 

台風の後の福井市
台風の後の福井市
台風後の福井市

台風が過ぎ去り少し落ち着いた朝、街を歩いてみると、木の葉、壁のトタン、植木鉢、どこかの金属の板など様々なものが暴風により飛ばされ、いたる所に落ちていました。

 

増水した福井市の足羽川の水はまだ引いていませんでした。

 

今年はあまり大きな台風は来て欲しくありませんが、

もし来てしまったら十分に気をつけてお過ごしくださいね。

 

 

T.F

福井の大雪 2018年1月27日―2月14日(ダイジェスト版)

2018年02月27日

出来事

福井は毎年1月2月に雪が多く降ります。しかし今年(2018年)ほど多く降ることは大変珍しく、福井出身の私でも驚きました。1月の終わり頃から2月13日頃まで多く降り、特に2月5日から8日は、37年ぶりの(1981年、昭和56年の56豪雪以来)記録的な大雪(福井市内2月7日午後2時に145センチの積雪を記録!)となりました。

 

 

2月10日の福井市、中心部の道路

2月10日には雪は少し落ち着き、大きな道路は除雪され車も走りやすくなっていました。

 

 

2月10日の福井市、田原町の道路、雪道がえぐられてデコボコ道になっている

しかし、小さめの道はまだ除雪が追いついていなく、道のところどころで車のタイヤがはまってしまい、動けなくなっていました。道路には、はまったタイヤをどうにか動かせるように、スコップで雪かきをしたあとがたくさんありました。またその雪かきをしたあとのガタガタ道に、新たに車のタイヤがはまってしまい、動けなくなってしまうという悪循環が多発しました。

 

2月10日、福井市の田原町を歩きましたが、30分の間に5台の動けなくなってしまった車を見ました。周囲の人と協力して、なんとか助けたのですが、その中の数台はやっと動き出せてもまたすぐに次のでこぼこ道にはまってしまい、大変な状況でした。

 

2月14日は久しぶりに太陽も出て、暖かくなり、雪もどんどん溶けていきました。

しかし、やはり完全に除雪が終わったというわけではなく、すぐに渋滞ができてしまい、いつもの数倍は移動に時間がかかりました。

 

T.F

 

こちらもご覧くださいね。(GEN過去ブログ)

福井の大雪 2018年2月6日
福井の大雪 2018年2月7日 ー見たことのない景色ー

 

福井の雪景色 パート1
福井の雪景色 パート2  大雪 in 福井 / 始まり

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