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オウム真理教と村上春樹著『約束された場所で』

2018年11月04日

今年7月、オウム真理教の教祖、麻原彰晃と死刑囚合わせて13人の死刑が執行されました。

 

村上春樹著『アンダーグラウンド』は、1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者やその関係者62名に春樹氏自身が真摯にインタビューしたノンフィクション大作でしたが、『約束された場所で』は、加害者側であるオウム真理教の信者や元信者8名に、これも春樹氏自身がインタビューしたもの。福井県出身の元信者も取材を受けています。

 

 

私はどちらも読みましたが、オウム真理教が起こしたことを自分の中で風化させたくなくて、『約束された場所で』を再読してみました。

 

本の中で、ある元信者はこう言っています。
「サリンの実行犯には当時とても真剣に信仰していた人たちが選ばれています。そして、君たちは特別に選ばれたんだ、とやられるわけです。使命感に訴えるんですね。帰依というのがオウム真理教における信仰の土台です。その名のもとにすべてのことが整合化されてしまうプロセスがそこにありました。そして、麻原彰晃という存在がたとえ一時的にあるにせよ、この世の中で機能して、それがあのような惨事を起こしてしまったという事実は忘れてはいけないと思うのです」

 

まったくその通りだと思います。再読を終えて、今もこの本が書かれた1998年と状況はあまり変わっていないように思え、教団のこともすべては解明されていないことに愕然とします。

 

第二第三の地下鉄サリン事件を生み出さないためにも、私たちはもう一度、オウム真理教が露わにした問題を根底から検証して、今後も伝えていくべきではないでしょうか。(H.S)

ノモンハン事件と村上春樹著『辺境・近境』

2018年08月29日

お盆に NHKスペシャルで「ノモンハン事件」について特集をしていました。放送を見ながら、
村上春樹が以前はるばるノモンハンまで行って書いたルポを読んだ記憶が甦ってきたので、
本棚を探してみたら確かにありました。著書名『辺境・近境』より、「ノモンハンの鉄の墓場」です。

 

 

春樹氏は小学生の頃に歴史の本でノモンハン事件の写真を目にしたことがあり、それ以来どういうわけかその情景が頭に焼き付いてしまったのだそうです。

 

その後はノモンハン事件について書かれた本があれば読んでいたらしいのですが、その数は決して多いものではなかったとか。そして彼はしばらくアメリカに住むことになるわけですが、何と当時所属していたプリンストン大学の図書室にノモンハン事件に関する古い日本語の書籍がたくさん並んでいたのです。そしてここでも春樹氏はまた読み続けました。

 

彼がノモンハンの戦争に強く惹き付けられる意味、それはこの戦争の成り立ちが、ある意味では
「あまりにも日本的であり、日本人的であった」からではないのだろうかと言っています。

 

ルポは、克明に綴られたノモンハンへの過酷な道中や、塹壕や戦車が今も残る、というより放置されているモンゴルの果てしない草原、そこで拾ったある物のせいなのか体験した恐怖などなど、まるでその旅をドキュメンタリーで見ているかのようです。

 

この戦争に関する考察が一読に値するのはもちろんですが、一行が草原を走行中に出合った一匹の小柄な雌の狼(季節からして、子どものために餌を探していたのかもしれない)がガイドのモンゴル軍人に執拗に追い詰められ、(モンゴル人は狼を見つけると条件反射的に必ず殺すのだそうです)いざもう撃たれるという寸前の狼の、覚悟を決めた澄んだ目の描写があまりに鮮烈で哀しく、胸に突き刺さり、涙を禁じ得ませんでした。(H.S)

福井弁満載の『メロディ・フェア』宮下奈都著

2018年08月16日

 

主人公の結乃は福井のショッピングモールの化粧品売り場で働く美容部員。
宮下さんも福井出身で福井在住なので、「多分あのショッピングモールを想定して書いているのかな」なんて想像すると俄然身近な話に思えてきます。

 

タイトルの『メロディ・フェア』は、あのビージーズの「メロディ・フェア」のことです。
私の世代にはとても懐かしい曲で、大ヒットしたイギリス映画「小さな恋のメロディ」の主題歌
でした。この曲、結乃が働くショッピングモールの閉店時間になるとかかる曲なんです。

 

小説では、結乃の仕事や家庭での様子が淡々と描かれていくのですが、その中で絶妙なアクセントに
なっているのが福井弁です。

 

福井県民の私は、福井弁は通じにくい方言の一つだと思っていたのですが、宮下さんはネイティブな
福井弁を容赦なく挟んできます。話しの流れの中での方言は、地元の人が思うより意外と通じるものなのかもしれませんね。

 

また、接客の場面ではこんな会話もありました。
(結乃)「ほかはよろしいですか」
(客)「よろしかったですか、って言わんの。今はみんな、よろしかったですか、やろ。でも、よろしいですか、でよかったんや。なんや、すっきりさわやかやわ」
宮下さんはやはり言葉のプロ。ゆるやかなストーリーの中でも、昨今の妙な日本語についてはきっちりと物申してきました。

 

もうひとつ。先輩の美容部員が結乃に言います。
「ほっこりって言葉、やめたほうがいいわよ。何も考えてない子みたいに聞こえるから」
おー、「ほっこり」という言葉に異を唱える人がここにもいたかと私は思わず溜飲を下げました。

 

福井弁に癒されて、誰にでもある子どもの頃の記憶に導かれるような、そして化粧の持つ不思議な力についても改めて気付かされる小説でした。(H.S)

橋本左内が15歳で記した人生の自覚『啓発録』

2018年07月12日

『啓発録』は橋本左内が書いた以下五か条からなる自分の生き方への指針。
現代にも通じる教えとして今も人々に読み継がれています。

 

一. 稚心を去る(子どもじみた甘えを捨てる)
一. 気を振う (やる気を起こす)
一. 志を立てる(一度決心したらその決心を貫き通す)
一. 学に勉める(すぐれた人物の立派な行いを習い、自らも実行する)
一. 交友を択ぶ(益友と損友を見極めて選び、益友を何をおいても大切にする)

 


ブログの参考にさせてもらった石川洋氏による著書

 

福井生まれの橋本左内は、15歳で大阪に出て適塾で緒方洪庵に師事し、蘭方医学を学びます。
いつの頃からか適塾では、左内が夜中にふと姿を消すことが噂になっていました。
誰かに誘惑でもされたかという話まで出たそうですが、実は左内は天満橋の下の小屋に住む貧しい病人たちを診ていたのです。

 

その左内が15歳の時に魂からの強い決意で綴った『啓発録』。
25歳で刑死する直前、左内は『啓発録』に改めて目を通し、「一字の訂正も必要なし」と記したそう
です。そしてその18年後、西郷隆盛が城山で戦死した際、最後まで肌身離さなかった手文庫の中には
左内からの手紙がありました。

 

【左内 辞世の句 訳文】
主君春嶽の無実を晴らせず、痛恨限りなし
牢に伏せれば心痛み悲しみ、顔を上げれば物思いに沈む
昨夜は江戸に初めて霜降るも
しぼまぬ私の心を誰か知るものであろうか

 

いよいよ斬首となる時、左内は嗚咽を漏らしたと言います。それは悲しみや恐怖からではなく、ここで自分が死んだら、福井藩は、日本はどうなるのか見届けることができない、もう何の役に立つことも
できない、という悔しさからの涙でした。

 

25歳の見識ある、飛び抜けて優秀な若者が辞世の句を詠むことになるなど、もう決してあってはならないこと。もし左内が極刑を免れて若きリーダーとして活躍できたなら、福井や日本の歴史は少し違っていたのかもしれません。この福井という地に確かに存在した橋本左内という傑出した人物の生き様を
忘れたくないと思います。(H.S)

 

こちらはGENが新しく制作した動画「幕末の俊才・橋本左内 ゆかりの地を訪ねて」です。

水上勉著 『ブンナよ、木からおりてこい』

2017年11月12日

 

『ブンナ』は児童文学だと思われているかもしれませんが、私は大人にもぜひ読んで欲しい一冊だと思います。水上勉は生前「私の書いた本で後に残るものがあれば、飢餓海峡とブンナくらいだろう」と
言っていたそうです。

 

水上勉は、この本を書くことで、お母さんや子どもたちと一緒に、この世の平和や戦争のことを考えてみたかったそうです。そして「この世は生きとし生けるもの、すべて太陽の下にあって、平等に生きている。だが、この世は弱肉強食でもあるのだ。ブンナが木の上で体験した世にも恐ろしく、悲しく、
美しい事件のすべてが、子どもにいくらかの考えを与え、この世を生きていく上で、自分というものがどう確立されねばならないかを小さな魂に芽生えさせてくれることを信じる」と言っています。

 

実はブンナが登った、楽園にも思えた椎の木のてっぺんは、鳶がねぐらへ餌を運ぶ途中の貯蔵場所だったのです。そう言えば、『雁の寺』にも同じように椎の木のてっぺんに鳶が餌を貯めている描写がありました。

 

「他人のために尽くすことはよい。けれども、相手のことをよく見極めないといけない。相手によってはこちらの善意を受けておきながら、その善意を踏みにじったりするものがままいるものだ」人間の子どもの残酷さ、その子どもや強い生き物に痛めつけられる小動物たちの哀れさと共に、ブンナのお母さんがこう言った言葉も、きれいごとだけではない生きるためのしたたかさを教えているのです。

 

小さいお子さんがいるお母さんで、これから子どもたちに読み聞かせをしようと思ったなら、ぜひ
『ブンナ』を読んであげてください。読んでいるお母さん自身も、ブンナの世界に入り込んでしまうに違いありません。(H.S) 

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