高野山 パート-4 -弘法大師(空海)はどんな人だった?-
2016年04月19日
この写真「奥の院」の、奥の方に弘法大師(空海)が眠っています。*奥側は撮影禁止
弘法大師(空海)の子供の頃の名前は「真魚(まお)」と言われており、父「佐伯真田公 善通(さえきのあたいだぎみ よしみち)」、母「玉依御前(たまよりごぜん)」に大切に育てられました。
好きな遊びは粘土遊びで、仏像を作るのが好きな子供だったらしいです。
粘土遊びが好きだったというところは、比較的、現代の子供たちとつながり、身近に感じられます。
しかし、その粘土で仏像を作るのが好きだったとは!幼少の頃から偉大さが感じられますね。
そして学生時代は非常に勉強することを好み、大変熱心に学業に励んだそうです。
大学入学後は、弘法大師(空海)の行動力の高さ、好奇心旺盛な部分がよく見られます。
大学→中国留学→仏教を学ぶ→建築も学ぶ→日本で仏教を広める→高野山にお寺を建てたいという思いが生まれる→実際に高野山に金剛峯寺を建てる
このように改めて弘法大師(空海)のことを知ってみると、止まることをせずに、動き続けていた、
精一杯生き抜いた方なんだと実感しました。
弘法大師(空海)の生き方を見習い、動き続け、精一杯生き抜きたいですね。
T.F