日本が30年間も英語教育政策で右往左往している根本原因―背景に「ペラペラコンプレックス」
2020年05月24日
少し前になりますが、 PRESIDENT Onlineのある記事が目に留まりました。記事は鳥飼玖美子さんと斉藤孝さんの対談でしたが、共感しきりでしたので、一部ご紹介したいと思います。
鳥飼玖美子さん (PRESIDENT Onlineより)
―2020年度に始まる大学入学共通テストで「英語の民間試験」の導入が土壇場で見送られた。これに限らず、日本は30年間、英語教育政策で右往左往している。原因はどこにあるのか。鳥飼玖美子さんは、「話す力」を「英会話」と考えることが根本的におかしいと指摘する。―
―【鳥飼】この一連の英語教育改革の非常に大きな問題点は、日本語との関係を希薄化させていることです。外国語の学習には母語が重要なのに、それを一切切り捨てようとしている。
【斎藤】スピーキングに対するコンプレックスは日本人全般にありますね。英語をペラペラに話せればかっこいい。たどたどしいジャパニーズ・イングリッシュは恥ずかしいと。しかしそれは大学入試で試すべき力なのか。
【鳥飼】本当にその通りです。ペラペラと話したい人はそういう努力をすればいい。大学入試では、高校で学んだ基礎力、特に読む力を測るべきでしょう。
【斎藤】だいたい制度というものは、一気に変えるより徐々に改良していく方がいい結果を生みやすい。現在の英語のセンター試験には、すでにリスニング問題が組み込まれています。だからそれをより重視する方向で改良すれば、コミュニケーション能力は測れると思います。
【鳥飼】その通りで、四技能を個別に測る必要はないんです。四技能は別々に教えるものでなく、総合的に学ぶものです。試験だって総合的な力を測定すればよいので、なぜスピーキング力を別に測定しないとならないのか解せません。―
鳥飼さんは、英語の四技能を個別に測る必要はないと断言していて、私は胸がすく思いでした。以前読んだ鳥飼さんの著書『本物の英語力』にはこんな記述もありました。
―企業に勤める人たちにアンケートを取った結果を見ると、「Eメールに対応するため英語を書く力が必要」という答えが多様な職種に共通していました。今や電話よりメールですから、会話より読み書きの力が求められるのです。TOEICはリスニングとリーディングが主体の検定試験ですが、スコアを重視する企業もあれば、「仕事の能力までを測るわけではないので採用の段階では参考程度」という企業もあります。―
後者の考えには同感です。英語ができる=仕事ができる、ではないのは自明のことで、既にそれに気づいている企業はあるということなのでしょうね。(H.S)